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地方の同人系イベント中心に活動中のサークル「秋楼閣」の5人が展開しているブログです。
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 おめでとうございました。
 誰も書かないんで連投したる、な感じで半ば自棄っぱち。誰か書けよ、こんちくしょー。
 そんなぼくは書くネタが無いのでどうしような感じでありますが…。そうだな…。某HPで見かけた、緑色のタバスコの箱パケのロブスターにきゅんとした。くらいだろうか。
 何あれ、どんな自虐ぷれい…。今までぼくの血となり肉と成った多種多様の生物に向かって改めて頭が上がらない思いです、はい。あれを見て食欲増進する!って人が居るのならば是非ともお逢いしてみたい。きっと野生で飯を食っているに違いない←
 そんな風に思っていると、不意に人の食事の仕方に着目したくなった。まぁ、其れを目撃する前に読んでた本が本だから、というのもあるのかも知れないが、兎に角着目したくなった。そんでもって、自分の食べ方についても見直したいと思った。
 順を追って説明をすると、人が食事を取るのは所謂生命維持のための一時的欲求から来るもので、物欲的な其れとは掛け離れたものである。つまり、人間が動物と同等の行為を行っているに等しいと云える。
 けれども、人間が人間らしく人間たる以上は、何かしらの柵の中で「摂取」を行う。その筆頭となるのがマナーと呼ばれるもの。其れを無視してしまえばその行為を行う人間は、生物学的には人間かも知れないが、倫理的な観点からみると、人間とは呼べ無くなる。つまり、動物と同等、という訳である。
 この思考は、ぼくが初めから持っていたものではなく、読んでいた本を噛み砕くとこういう事だよね、という自己解釈を経た後からの知識や其れに伴う感情である。
 所謂昔の日本人、というものは、食事は厳かに行うものとして扱っていた様に思う。囲う卓の上で会話は無く、目の前にある食物を一定量確実に、そしてバランスよく口にする、といった傾向だ。今ではその風潮も薄れて、食べるイコール生きる為の率直な思考が第一にきている様な気がする。これは核家族化が原因だろうかとぼんやり思ったが、この辺りにまで話が発展すると、とりとめのないものが、益々とりとめがなくなるので省く事にする。
 此処までを完結に述べると、目の前に出された食事に対する感謝であるとか、謝意であるとか、そういう感慨の様なものを懐く人が少なくなったのではないか、と。そういう結論に至ると、単純に、豊かに成ったのかな、戸も思う。
 豊かに成るから、バリエーションに富む。すると必然的に嫌いなものが増える。その上、其れが当たり前、という一言で済ませてしまえるような事態に成るものだから、食べて当たり前、嫌って当たり前、と成るのやも知れない。
 ――話が飛躍し過ぎた…。何れにしても、上記の思考から、自分の食べる姿、というものが気に成った次第。自分がいかにして亡骸を口にしているのか、生物であったものを口にしているのか。食欲をなくすような言葉でいうとこういったところだろうか。其れに、食べる、という行為が一次的欲求なものであり、野生に直結するような部類のものであるのなら、その時その人の人間性みたいなものが見られるんじゃないだろうか、と。故に、人の食べる姿を暫し観察してみたいな、という…まぁ、其れだけの話なんですがね。其れだけのことを連ねていくのに、無駄に長くなった気がしないでもない。
 何にしても、スーパー乃至輸入ショップ的なお店に行った際は、緑のタバスコの箱パケに描いてあるロブスターを見たら良いと思う。そして「嗚呼…」と零して棚に戻すと良い!
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